佐賀地方裁判所 昭和37年(ワ)314号 判決 1963年3月19日
原告(反訴被告) 国
指定代理人 広木重喜 外四名
被告(反訴原告) 富士運送有限会社
主文
被告(反訴原告。以下単に被告と略称する)は原告(反訴被告。以下単に原告と略称する)に対し、金五〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三四年七月一日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
被告の反訴請求を棄却する。
訴訟費用は本訴反訴を通じてこれを三分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
(争のない事実)
被告(反訴原告。以下単に被告と略称する)が貨物自動車運送およびこれに附帯する一切の業務を営む有限会社であること、被告会社の被用者訴外石橋利安が昭和三四年六月三〇日被告会社の業務の執行として同会社所有の普通貨物自動車(佐一-一五七一号)を運転して長崎市から佐賀県鳥栖市に向つたこと、石橋利安が当時多少飲酒していたこと、右自動車が同日午後五時一〇分頃長崎県東彼杵郡東彼杵町瀬戸郷一四八六番地附近道路を進行中、おりから同所を陸上自衛隊大村駐とん部隊所属一等陸士訴外坂本年明が同部隊の管理するジープを運転し佐世保市早岐町方向から前記自動車と対向して進行してきたこと、石橋利安が離合前約二〇米の地点で右ジープに気がついたこと、右両自動車が離合の際接触し、その結果ジープ助手席に乗車していた訴外石田初義が右側胸部挫傷、同内出血および頭部挫傷の傷害を受け、よつて間もなく同町干綿所在岩永病院において死亡したことおよび右ジープが一部損傷したことは当事者間に争いがない。
(本訴請求に対する判断)
右争いなき事実によると被告会社は自己のために自動車を運行の用に供し、その運行によつて石田初義の生命を害したものであるから自動車損害賠償保障法第三条によりこれによつて生じた損害を賠償すべき義務がある。ところで被告会社代表者は右事故は専ら坂本年明の過失にもとづくものであつて石橋利安には過失がなかつた旨主張するが成立に争いのない甲第四号証の三、四、五、七、八、第一一、第一二号証、第一三号証の一乃至三、第一五号証、第一六号証(但し後記措信しない部分を除く)、証人石橋利安の証言(但し後記措信しない部分を除く)を総合すると、石橋利安は同日午後三時三〇分頃長崎市中川町所在の高瀬酒店にて焼酎約二合五勺を飲んだ上、同日午後四時頃前記普通貨物自動車に被告会社の運転助手大石豊、日山一輝を助手席に緒方幸夫を後部荷台にそれぞれ乗車させ、空車にて同所を出発し、時速約五〇粁の速度で鳥栖方向に向け進行したが次第に酔いが廻り、遂にはろれつも廻らない程度にめいていしたためハンドル操作が粗雑となり、しばしば対向車に接触しかける等危険な運転をしながら、幅員八・五米の国道三四号線を現場附近にさしかかつたこと。坂本年明は前記ジープの右車輪の位置が道路中央線より左約四〇糎に位する態勢で時速約三〇粁の速度にて同国道上を運転し、事故現場の数百米手前において、前方を対面進行してくる石橋利安運転の前記自動車を認めたが、この態勢のまま安全に離合できるものと考えそのまま進行したところ、めいていしてハンドル操作が緩慢となつている石橋利安が事故現場手前のカーブ(現場がかなり大きくカーブしていることは当事者間に争いがない。)を大廻りしたためその運転する自動車の車体右側が道路中央線を右に越えてきたため、坂本年明は危険を感じてとつさにブレーキをかけて急停車の措置をとるとともにハンドルを左に切つて接触を避けようとしたため、右ジープは道路中央線にほぼ平行してスリップしたのち一旦左に向きを換えたが、さらに弧を画いて道路中央に向きを換えたところに、右ジープを認めながら危険防止について何等の措置を講ずるところなく漫然道路中央寄りに進行を続けた石橋利安運転の貨物自動車が接近し、右ジープの車体右側と右貨物自動車の車体前部右側とが接触した事実が認められ、甲第一六号証の記事および証人石橋利安の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そもそも自動車運転者たるものはめいていして運転すれば注意力が散漫となり操縦を誤る等正常な運転ができないおそれがあるので運転をするに当つては飲酒を慎しむべき業務上の注意義務あり、又福員一〇米にもおよばないような道路上において対面進行する自動車と離合するに際しては道路、交通および車輌の状況に応じ他人に危害をおよぼさないような速度と方法により事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、石橋利安はこれを怠り前認定のとおり飲酒したため右離合に際し、めいていのためハンドル操作が緩慢となり、かつ危険防止について何等の措置をも講じなかつた過失により前記事故を発生せしめたものであることが明らかである。従つて石橋利安に過失が認められる以上その余の免責事由について判断するまでもなく被告会社代表者の免責の主張は理由がない。よつて進んで石田初義の蒙つた損害について考えるに成立に争いのない甲第一〇、第一七号証によれば石田初義は大正四年七月一九日生れで死亡当時満四三年一一ケ月の男子で、二等陸佐六号俸の給与を受け、一ケ月金四五、七一〇円以上の所得を得ていたものであるところ、成立に争いのない甲第一六号証によれば同人は当時陸上自衛隊大村駐とん部隊第一大隊長として勤務し、前記事故当日午前八時二〇分頃坂本年明運転の前記ジープに乗車して同部隊を出発し、佐世保市早岐町所在の射撃場および同市黒髪町所在の射撃場において終日視察を行つていた事実が認められ、これに反する証拠はない。右認定事実によると同人は当時通常の健康体であつたことが推認されるところ、厚生大臣官房統計調査部編第九回生命表によれば満四三年の健康な日本人男子の平均余命は三〇、〇三年であることが認められ同人は本件事故がなかつたならばじ後約三〇年間は生存し得たであろうことが推定されるから同人は少くともじ後二〇年間は労働が可能でその間一ケ月金四五、七一〇円の割合で収入をあげ得たことを推認することができる。而して人事院が国家公務員法第二八条および一般職の職員の給与に関する法律第二条の規定にもとずき昭和三四年七月一六日付国会および内閣に対してなした「一般職の国家公務員の給与についての報告ならびにその改定についての勧告」中の資料第一七表に「東京における独身成年男子の標準生活費一カ月金七、九三〇円」と記載されていることは顕著な事実であるところ、同表によると成年男子の生活費は一カ月金七、九三〇円程度であることが推認されるから、これを右所得から控除し、さらにホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を差引いて事故当時の一時払金に換算すると四、五三三、六〇〇円となり石田初義は前記石橋利安の不法行為により同額の得べかりし利益を喪失したことが認められる。ところで坂本年明は前認定のとおり石橋利安運転の普通貨物自動車と離合する直前まで道路中央線に副つて進行したが、事故現場は幅員僅か八・五米の道路でその上大きくカーブしているのであるから、自動車運転者たるものはかかる道路上において対向する大型自動車と離合するに際してはあらかじめできるだけ道路の左側寄りを進行し、対向車の右側面との距離を充分とつて進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに坂本年明はこれを怠り、接触直前までその措置にいでず漫然道路中央寄りを進行した点に同人にも過失があつたものと認められるところ石田初義は坂本年明の上司として前記ジープの助手席に乗車し同人を指揮監督していたものであるから、右坂本年明の過失は社会通念上石田初義の過失と同視すべきである。よつて、右損害の賠償額の算定についてこれを斟酌すると右石田初義の取得する損害賠償額は金四、二〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。成立に争いのない甲第一七号証によれば石田初義には妻美智のほか長女初美、長男洋一、二女明美、二男健二の四子があることが認められるから石田美智は初義の配偶者として同人の有する前記損害賠償請求権の三分の一である金一、四〇〇、〇〇〇円を相続したものというべきである。次に証人石田美智の証言によれば同人は石田初義の葬儀を執行したが葬儀に際し、(イ)葬儀社その他葬儀費用一五、〇〇〇円、(ロ)火葬場使用料一、〇〇〇円、(ハ)布施一七、〇〇〇円、(ニ)会葬、通夜等接待用清酒代三、四七五円、(ホ)同白米代六、五〇〇円、(ヘ)同菓子代一〇、〇〇〇円、(ト)葬儀社および火葬場行きのハイヤー代一、〇〇〇円、(チ)会葬写真代一二、七五〇円、(リ)会葬礼状印刷、送料等四、二〇二円、(ヌ)供物葬儀通信費用五、七三五円、(ル)忌明費用九、〇五五円、(ヲ)香典返しとして福祉事務所への寄附一〇、〇〇〇円、(ワ)納骨堂建設費九〇、〇〇〇円、(カ)墓地基礎工事費六二、六五〇円、合計金二四八、三六七円の支出をなした事実が認められ、これに反する証拠はない。而して右各支出金のうち香典返しの金一〇、〇〇〇円については前記不法行為にもとづく同人の損害と認めることができないから、石田美智は石田初義の葬儀に関し、前記合計金から右金一〇、〇〇〇円を控除した金二三八、三六七円の支出を余儀なくされ、同人は前記不法行為により同額の損害を蒙つたものというべきである。次いで成立に争いのない乙第一号証、証人石田美智(後記措信しない部分を除く)同古賀マサ子の各証言を総合すると前記事故後の昭和三四年七月二日石田美智方において、被告会社代表者古賀広喜と石田美智との間に、被告会社は石田美智に対し、前記事故に関する賠償として日産火災海上保険株式会社自動車損害賠償責任保険金三〇〇、〇〇〇円を支払うことにより両者間の右事故に関する争いを全部解決すること、今後右事故に関しては双方何等の異議要求を申立てないのは勿論、告訴告発等一切行わない趣旨の契約が成立したこと、同年同月四日石田美智は同人方において被告会社代表者の使者として訴外古賀マサ子が持参したところの右絢旨記載の示談書に署名押印した事実が認められ証人石田美智の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できず他に右認定に反する証拠はない。ところで原告訴訟代理人は右示談は石田美智の真意にもとづかないものであるから無効である旨主張主張するが、意思表示は表意者がその真意にあらざることを知りてこれをなした場合においてもその効力は妨げられないから右契約は、双方の意思の合致により有効に成立したものというべきである。
従つて石田美智が被告会社に対して取得したところの前認定の各損害賠償請求権は右契約によつて金三〇〇、〇〇〇円に減縮されたものといわなければならない。次ぎに成立に争いのない甲第一号証ならびに証人石田美智の証言によれば原告は昭和三四年七月八日前記石田初義の配偶者石田美智に対し遺族補償金一、七二七、〇〇〇円、葬祭補償金一〇三、六二〇円をそれぞれ支給した事実が認められ、これに反する証拠はない。従つて原告は右補償の実施により国家公務員災害補償法第六条第一項により石田美智が被告会社に対して有する損害賠償請求権を取得したが、同請求権の債権額は前認定定のとおり既に金三〇〇、〇〇〇円に減縮されているから原告の取得する損害賠償請求権も同額の金員についてのみ存するものとみるべきである。原告訴訟代理人は同法第六条第一項の適用については、国は当事者の示談の有無にかかわりなく、補償を行つた限度において被補償者の有していた損害賠償請求権を取得する旨主張するがそのように解すべき法律上の根拠はなく、又実質的に考えても国は災害の発生を知つたときはすみやかに補償を受けるべき者に対し、損害賠償責任を有する第三者との間に請求権の放棄、減縮等の行為にでることのないよう指示する(同法第八条参照)ことにより容易にその取得すべき求償権を保全することができるのであつて、かかる措置にでることなく漫然事務手続を経たため、償償を行う以前において当事者間に有効な示談、和解等が成立した場合において国の取得する損害賠償請求権が示談、和解等により確定された限度に減縮されることがあつても己むを得ないものといわなければならない。原告訴訟代理人はさらに、示談を認めることによつて国は補償を行う必要がなくなり、ひいて同法の立法趣旨を減却するに至る旨附陳するが、同法第一五条第一八条の各補償は公務員が公務上死亡することのみを要件とし、補償の原因が第三者の故意又は過失にもとづくと否とにかかわりなく補償すべき義務を定めたものであつて(同法第六条第二項の法意は補償を受けるべきものが国と賠償義務者の双方から補償と賠償を受け二重の利益を受けることを防止する点にあるとみるべきである。)、補償を受けるべき者が同法第六条第一項による国の求償権を害することを知りもしくは知りうべきであつたのにこれを知らなかつた過失により違法に求償権を侵害した場合においては民法第七〇九条以下により国が補償を受けた者に対し損害賠償を請求することができる場合のあり得ることは格別、当事者間において賠償請求権を放棄または減縮する旨の契約がなされ、ために国の取得する請求権が消滅又は減縮されたとしても国は国家公務員災害補償法の規定にもとづく補償の義務を免れるものではないから、被災公務員および公務員の遺族の保護を図り、公務員として後顧の憂いなく公務に専念せしめる同法の立法趣旨にもとるところなく、その主張の如き不合理をもたらすものではない。ところで、昭和三五年八月石田美智は前認定の約旨にもとずく保険金三〇〇、〇〇〇円を受領し、同月原告が石田美智から同額の金員を受領したことは当事者間に争いがないから、これによつて原告は前記補償により取得したところの債権全額の弁済を受けたものというべく、原告の補償にもとずく損害賠償請求権はその余の点について判断するまでもなく棄却を免れない。
次に原告のジープの損傷による損害賠償の点について考えてみると、前記のとおり前記事故は被告会社の被用者である石橋利安が被告会社の事業の執行につきその過失により惹起せしめたものであるから被告会社は原告が右事故により蒙つた財産的損害すなわちジープの損傷による損害についてこれが賠償をすべき義務がある。被告会社代表者は、被告会社は石橋利安の選任およびその事業の監督について相当の注意をなした旨抗弁するが、これを認めるに足りる証拠がないから被告会社は右賠償義務を免れることができない。而して成立に争いのない甲第三、第一二号証によれば原告所有のジープは右事故により前部右側窓枠折損、右側後射鏡脱落、助手席右側板破損、右ホロ骨脱落、後部フェンダー右側折損、ホロ骨歪曲等の損傷を受け、原告はその修理のため金五九、五五四円の支出を余儀なくされた事実が認められこれに反する証拠はない。而して前記坂本年明には前認定のとおり右事故につき過失があつたものであるところ、同人の過失は右損害額の算定については社会通念上原告の過失と同視すべきであるから、これを斟酌すると右ジープの損傷にもとずき被告会社が原告に賠償すべき損害額は金五〇、〇〇〇円をもつて相当とする。
(反訴請求に対する判断)
原告の被用者坂本年明にも前記事故について過失があつたことは本訴請求に関し認定したとおりであり、前記甲第四号証の五、第一一、第一二号証によれば、右事故により石橋利安が前歯を折損したこと、被告会社所有の前記普通貨物自動車が一部損傷したことが認められるが、被告会社代表者主張の各損害金についてはいずれもこれを認めるに足りる証拠がないからその余の点について判断するまでもなく被告会社の反訴請求な理由がない。
(結論)
よつて原告の本訴請求中、被告会社に対し前記ジープの損傷にもとずく損害金請求の内金五〇、〇〇〇円およびこれに対する前記不法行為の後の日である昭和三四年七月一日から右支払ずみまで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求める部分に限り正当としてこれを認容し、その余の請求ならびに被告会社の反訴請求はいずれも失当としてこれを棄却し、訴訟費用は民事訴訟法第八九条第九二条により本訴反訴を通じてこれを三分し、その二を原告の、その余を被告会社の負担とし、主文のとおり判決する。
(裁判官 弥富春吉 生田謙二 岡田春夫)